会社沿革
明治15年 | 平佐善七が平佐商店を開業、舶来時計及び舶来金物の販売を始める。 |
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明治22年 | 取り扱い商品の中で時計と金物部分を分離独立させる。この時(明治22年1月24日)をもって創業とする。 |
明治28年 | 法人組織に改組し、資本金3万円で合資会社ヒシヒラ商会として発足。 大正 2年/ 大阪市浪速区円手町で我が国初の石炭ストーブの製造をはじめる。 |
大正3年 | 資本金を5万円に増資。本社を大阪市西区靭北通1丁目29番地に移転。 |
大正5年 | 大阪市浪速区円手町の工場が手狭になったため、現本社所在地に約2,000坪の敷地を購入して銑鉄鋳物工場を建設、ストーブ等を製造。創業30年を機に、資本金を50万円に増資。 |
大正8年 | 株式会社ヒシヒラ商会に組織変更。取締役社長に平佐潔就任。この時(7月1日)をもって、弊社の設立とする。 |
大正14年 | 靭の本社社屋を鉄筋コンクリート3階建てに改築。輸入金物のほかに建築金物、機会工具類も扱う。さらに貿易部を設置して、中国、台湾、朝鮮(現韓国、北朝鮮)、東南アジア、中南米等にまで販路を拡大。 |
昭和13年 | 中国鞍山に、銑鉄鋳物工場を設置。 |
昭和16年 | 韓国京城に銑鉄鋳物工場、大阪市放出にステンレス鋳物工場をそれぞれ設置。 |
昭和20年 | 終戦のため満州、朝鮮の両工場は放棄し、放出工場は売却する。本社ならびに工場は戦災をまぬがれたので、社員の復帰と共に業務を継続する。 |
昭和22年 | 初代社長の平佐潔が取締役会長となり、升森泰三が取締役社長に就任。 |
昭和23年 | 7月に資本金を100万に増資、続いて同年11月、資本金300万に増資。 |
昭和28年 | 資本金900万に増資。 |
昭和29年 | さらに倍増資して、資本金を1,800万円とする。 |
昭和30年 | 靭の本社倉庫が狭隘となり、そして問屋としての配送システムの改革に迫られたため、淀川区の現在地に本社を移転。さらに営業内容の充実をはかるため、取扱商品に各種建築樹脂商品を加える。 |
昭和36年 | 4月に福岡支店を開設、同年12月に資本金を2,000万円に増資。 |
昭和38年 | 資本金を6,000万円に増資、同年10月、札幌支店を開設。 |
昭和39年 | 時代の流れと、新しい感覚に対応するため、社名を株式会社ヒシヒラに変更。同年10月、名古屋支店を開設、続いて11月、資本金を8,000万円に増資。 |
昭和42年 | 3月、広島支店を開設。 |
昭和43年 | 4月、仙台支店を開設。 |
昭和44年 | 創業80周年記念式典を行う。本社社屋を新築。同年10月、大分営業所を開設。 |
昭和45年 | 1月、本社社屋の新築完成。 7月、高松支店を開設。 |
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昭和48年 | 1月、富山出張所を開設。同年6月、本社社屋前にテナントビルを建設。 |
昭和49年 | 1月、山陰支店を開設。同年2月、升森泰三が取締役会長となり、平佐國夫が代表取締役社長に就任。同年5月、不動産賃貸業を始める。 |
昭和52年 | 3月、松山出張所を開設。 4月、盛岡出張所を開設。 |
昭和53年 | 4月、鹿児島出張所を開設。 |
昭和60年 | 鋳物工場閉鎖。 |
昭和61年 | 9月、岡山出張所を開設。 |
昭和62年 | 工場跡地にマンションを建設。 |
昭和63年 | 賃貸マンション「ヒシヒラリバーハイツ」完成。 |
平成2年 | 創業100周年記念式典を行う。 |
平成3年 | 平佐國夫が代表取締役会長に、岩井季三が代表取締役社長に就任。 |
平成4年 | 優良申告法人に指定される。 |
平成7年 | 8月、富山出張所を新築移転する。 |
平成9年 | 6月、鹿児島出張所を新築移転する。 |
平成11年 | 6月、山陰支店を新築移転する。 |
平成12年 | 創業110周年記念式典を行う。 |
平成13年 | 5月、松山営業所を新築移転する。 |
平成14年 | 7月、高松支店と松山営業所を統合し松山支店とする。 |
平成16年 | 4月、岩井季三が代表取締役会長に、平佐一郎が代表取締役社長に就任。 |
平成17年 | 6月、関東営業所を開設。 |
平成20年 | 9月、埼玉営業所を開設。 |
平成26年 | 創業125周年を迎える。 グアム社員旅行 実施 |
平成27年 | 賃貸マンション 「リバーヒルズ新大阪」完成。 2月、千葉営業所を開設。 |
平成29年 | 4月、平佐一郎が代表取締役会長に、西薗博美が代表取締役社長に就任。 |
令和5年 | 2月、本社新社屋の竣工。 |
令和5年 | 4月、西薗博美が代表取締役会長に、片山英知が代表取締役社長に就任。 |
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